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(割り箸事件)棄却は当然だが、やはり遅すぎた
2009-04-17-Fri  CATEGORY: 医療崩壊
今回の件について、もうご存知の人もおられると思いますが。

まず、こちらを紹介です。

こちらから引用

<割りばし死> 遺族側の控訴棄却 東京高裁「予見は不可能」

4月15日21時15分配信 毎日新聞

東京都杉並区で99年、のどに割りばしが刺さり死亡した杉野隼三(しゅんぞう)君(当時4歳)の両親が杏林大付属病院(三鷹市)を開設する杏林学園と担当医に8960万円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京高裁は15日、請求を棄却した1審(08年2月)を支持し、両親側の控訴を棄却した。小林克已裁判長は「診察は慎重さを欠き、カルテ改ざんも疑われるが、割りばしによる頭蓋(ずがい)内損傷を予見することは不可能だった」とした。

両親は上告せず判決が確定する。刑事裁判でも医師の無罪が確定。発生から約10年で一連の訴訟が終結する。

隼三君は99年7月、盆踊り会場で転倒し、担当医がのどに薬をつけて家に帰したが翌朝死亡。解剖で口に入れていた綿あめの割りばし片が脳内に残っていたことが判明した。【伊藤一郎】

▽ 杏林大付属病院の東原英二院長の話 過失がなかったことが認められ感謝している。隼三さんのご冥福をお祈りし、医療の安全に一層信頼を得られるよう全力で取り組む。

▽ 隼三君の両親の話 血も涙もない判決で無念。私たちの闘いが何らかの意味で医療にとって意義があったと認めていただける時が来るよう、今後も努力したいと思います。

(引用ここまで)

今回の判決については、妥当と考えられます。以下に自分なりの理由を。

当該症例は予後が悪く、発見当時既に助命が困難とされる状況だったようです。その時点からどれだけ頑張ったとしても、ダメなときはダメなのです。そういう状況下の診療行為で、結果が悪ければ医師のせいだと主張するのは公正ではないし、今後同じような場面で手を尽くしてくれる医師の数を減らす危険な行為ですらあります。
また「診察の慎重さ」についても、そのためには念入り過ぎるほどの検査が必要になります。被曝の危険性がある機器もあり、子供相手に無制限で使えるわけではありません。それ以前に、この国の保険診療では、念入り過ぎる検査を行う費用的裏づけもないのです。この一件を基準に、過剰な検査を恒常化するほどの余裕など、もはやこの国にはないのが現実です。

患者側の人間だからといって、何を言っても許されるというわけでは、勿論ありません。最低限の節度が必要・・・医療の抱える技術的限界、制度上の限界を熟知することも含め、分を弁えた言動が必要になってきます。しかし当該案件のご遺族に関する限り、どうやらその対極にある方々のようです。ここでは取り上げませんが、既にこの案件について医療側を悪し様に攻撃する著作まで出版しています・・・酷な言い方ですが、そういう方々は何かあったとしても、絶対医師の目の前に出てきてはいけない人種です。その無限定な要求に応えられる医師など、世界中どこを探してもいるわけがありませんから。
その周辺についても、同じ批判が必要と思います・・・こうした患者側の行動は、どこまでいっても社会的善に結びつく可能性のないものです。医師と医療に対する最低限の理解がなく、要求だけは青天井の人々は現場に負担を押し付けることはあっても、医師たちと共生していい環境をつくろうとは考えないからです。そうした言動は真っ先に規制されなければいけません・・・たとえ一部の人間でも非合理的な主張を繰り返すのであれば、残りの人間も含め社会全体が同類項として扱われます。既に先生方の中に、患者側の人間全体を信頼しなくなった人もいます。
ご遺族の主張について、「医療にとっての意義」という言葉がありましたが、それはネガティブな意味で決定的に正しいものでした。この案件は10年にも及ぶ時間を費やしています・・・つまりせっかく善意で診察したとしても結果が悪ければ、その過程がどれだけ適切なものであったとしても、それだけの時間をふいにされ、人生を滅茶苦茶にされてしまうのです。この一件もまた(福島の件などと同様)、危険の伴う分野から医師がどんどんいなくなる大きな原因となってしまいました。正当な理由に基づかない訴訟の濫用が、現場から医師を駆逐し、医療難民を量産しています。

果たしてその結果に対して、誰が責任を持ちえるのか。おそらく誰も持たないと思います・・・この国では医師に残ってもらうためにどのような待遇改善を行うかではなく、どうにかして医師を強制労働させようと考える有様です。本来は濫訴をやめさせ、先生方を訴訟リスクから解放することが本筋なのですが。医療の危機が叫ばれている中、いつまで経っても「患者様」のつもりでしかモノが言えない。
先生方はそのことも含め、十分すぎるほどに理解しています。この件においても、医療に関する諸問題の根本的な原因は解決されず、無根拠な不信感だけが残ってしまいました。最低限医師にやってもらいたいと思うことの対価を自ら提供し、医師の働く環境を整える・・・大して難しくはない理屈なのですが。現実には、何かあるたびに医療側は悪し様に罵倒され、そのたびに先生方の気持ちが傾き、ますます現場から人がいなくなっていく・・・

表題ですが、そうした流れが押しとどめられない限り、やはり「遅すぎた」と思います。医療に関する現実を理解しようとせず、ただ要求するだけの者が一定数でも残っている限り、行き着く先は医療難民としての末路です。そうならないために、果たして「どうするべきだったのか」。それを考えて、実行することが必要です。

最後に、今回の件に否応なしに関わることとなってしまった先生方の今後が、より良い方向に向かってくれればと思います。
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