QMA、その他ゲーム以外のことも、つれづれなるままに書いていこうと思います。どんな文章になることでしょうか。
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救急に関する、見ていただきたい文章
2009-01-20-Tue  CATEGORY: 医療崩壊
今回は春野ことり先生から、文章をお借りしています。この場での掲載を承諾してくださったことにつき、深く感謝します。

(ここから引用)

前回、救急隊から「吐き気」という主訴だけを伝えられて応需した救急患者が、実は「転倒して後頭部を打撲した後の吐き気」を訴えており、到着後、胸痛、背部痛を訴え、大動脈解離かと思いきや、胸椎圧迫骨折だった、という症例を提示した。結果的には命に別状はなかったわけだが、診断がつくまでの間、冷や汗ものだったことは、臨床医の皆さんにはご理解いただけることと思う。

この事例で最初に「転倒」「頭部打撲」というキーワードが伝えられなかったことは問題だったと感じ、前々回の記事に、「救急隊からはめられたような気持ちになった」と記載した。その件に関し、ある救命士の方がコメントをくださり、私の地域の救急隊に代わってお詫びの言葉を述べて下さった。こちらこそ救急隊の方に対して失礼な記載をしたこと、お詫び申し上げたい。

救急隊も搬送先を探すのに苦労していることはよく分かる。早く搬送先を確保したいという一心で、状態を簡潔に伝えようとするために大切な情報が漏れてしまうこともあるかも知れない。また、状態が搬送中に変化することもあるだろう。救急車が到着してみると、患者の状態が電話で聞いていた状態と全然違っていることも多くの医師は経験している。

もしも、「頭部を打撲した後の吐き気」とわかっていたら、私は受け入れを断っっていた。もとより、その情報があれば、内科の私ではなく、外科医が呼ばれた筈である。失礼を承知で言えば、救急隊は患者を病院へ運びこんでしまえばそれで仕事は終わりだが、受けた医師にはそのあと結果次第で訴訟が待っているのだ。

一般の方たちはご存じないことだろうが、たとえ救急指定病院と名がついていても、ほとんどの病院では救急患者に備えて医師が待機しているわけではない。ましてや今どき、どこの病院でも医師は欠員状態である。通常、医師は外来患者や入院患者の診察、検査の合間に救急車に対応しているため、重症患者を受ければたちまち病院の機能がストップしてしまうのだ。

この場合も「吐き気」だけであれば、診察にはそれほど時間を要しないとの算段で受けたのだが、実は「意識消失」にて転倒し「頭部打撲」していることが判明し、「胸痛、背部痛」の訴えも加わり、診断をつけるための検査に1時間以上を要した。もしも大動脈解離や急性心筋梗塞などと診断されれば、高次医療機関に転送しなければならず、転送先を探し救急車に同乗するのに更に1時間以上はかかるであろう。その間、入院患者に急変があったりしたら、どうすればいいのだ。医師が不足している病院で救急を受けること自体無謀である。

しかし、救急患者はこちらの事情などお構いなしにやってくる。救急車に限らず、歩いて地雷患者がやってくることだってある。受けたら全責任を持たなければならない。

マスコミはそんな事情を考慮することなく、「受け入れ拒否」「たらいまわし」と書き立てる。「恥を知れ」「それでも医者か」「また義務を忘れた医師たち」など、これまで医師は痛烈なペンの暴力を受けてきた。

最近は「日本医療政策機構」のお偉い様が「医師は応召義務を果たしていない」「医師は被害者意識を捨てよ」などと書いた。

上記についてはこちら

自分は安全な場所にいながら、前線にいる兵士に向かって「体を張って戦死しろ」と言っているようなものだ。そんな考えに誰が付いていくだろう。

救急医療を行うとき、どうしても頭に浮かぶのが、加古川心筋梗塞訴訟事件や、奈良心タンポナーデ事件である。

最近は重症患者を高次医療機関へ転送しようとしても、断られることが多くなった。転送先を探すのに時間がかかる。もたもたしていて患者が亡くなったりすれば、加古川訴訟の二の舞になってしまう。

かかりつけの患者ならともかく、背景の分からない患者を救急で受けるなんて恐ろしくてできない。

もう救急なんていやだと、小さな声でつぶやいてみる。

(引用終わり)

引用先はこちらです

以下、感想です。
最後の文章が、何よりも雄弁と考えました。救急はもともと全くペイしない上に、リスクばかりが高くなっています。途中引用した「事件」は実際に起こった出来事と、それに対する判決です。もし時間があれば読んでみてください・・・実際に医療の現場で出来ることと要求されているレベルの、あまりの隔たりに対する絶望がこの文章から読み取れなければ、その人の知性の問題と考えます。

救急の難しさは、この文章にもあるとおり、患者の容態を瞬時に見切れない点にあると考えます。にもかかわらず、結果が悪ければ訴訟の対象、損害賠償責任という事になるのであれば、はっきり言って誰も救急に関わらないようになります。そういえば、割り箸事件のときも、同じような反応だったと思います・・・担当医は有罪であるべきという主張を臆面もなく繰り広げる者の、何と多かったことか。

その他にも、ここで理解しておく必要のある事項を書いておきます。

・ 搬送する側の態度にも、問題はあること
・ 救急に対応することの出来る病院が、相当少なくなっていると予想される現実

何度かこちらに足を運んでくださった方は、大体わかっておられると思いますが。搬送する救急隊は「患者を引き受けてもらう」ことしか考えていない場合が多く、病院との間に軋轢があります。また全国的に見て医師はどこにも余剰がなく、ましてや危険な現場である救急など、どこも限界を超えた水準で仕事をしているということは、もう理解しておかなければならない事項の一つです。

危険が特定職階のみに押し付けられ、世間一般がそれに対して絶望的なまでに無頓着であるという現実。先生たちの深い絶望の程を、この文章から読み取っていただきたいと思います。果たしてその上で、自分たちは医療側に何かを求める資格があると、断言できるのか?

しっかりと、考えていただきたい問題です。何度か書きましたが、これは我がことでもあります。医師がいなくなれば、患者は野垂れ死に以外に道がありません。それでもいいものかどうか・・・答えは、我々が、示さなければなりません。
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コメント

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ありがとうございます。
コメント春野ことり | URL | 2009-01-21-Wed 01:26 [EDIT]
素晴らしい記事に仕立てて下さって、ありがとうございます。
私のただ思うところを書き散らした文章で、このような感想を持っていただけるとは、本当にありがたいです。
世の中、捨てたもんじゃありませんね。
この感想を拙ブログで逆紹介したいのですが、よろしいでしょうか?
お返事いたします
コメント鴛泊愁 | URL | 2009-01-21-Wed 07:59 [EDIT]
< 春野ことり様 >

来てくださって、ありがとうございます。

良い評価をいただけたようで、嬉しく思います。この文章ですが、よろしければお使いください。何らかの形で、役に立つならそれ以上のことはありませんから。

患者側の人間であるから、見えてしまうことがあります。不快なものばかりですが、少しでも理解力があって、正しい行いを続けている人がいるのであれば、そうした人たちだけでも救われる価値はあると考えています。ただ、残された時間はもうそれほど残っていないとも思いますが。

文章は定期的に更新しています。あまり題材になるような出来事が起こるのは、本意ではありませんが・・・
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