QMA、その他ゲーム以外のことも、つれづれなるままに書いていこうと思います。どんな文章になることでしょうか。
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現場から人が消えるのは、そういう社会だから
2008-02-23-Sat  CATEGORY: 医療崩壊
長い間空けてしまいまして、恐縮です。今週の話ですが、これで一区切りにするつもりです。

いきなりですが、こちらです。

最近、春野ことりさんのブログや、あかがまさんのブログなどを見ていると、医療現場の人たちの悲鳴とも言うべき警告が伝わってきます。日本の医療が崩壊しつつある、それを救うのは第一義的には政治の仕事でしょうが、底流には現代の私たちの心のありようが関係しているように、私には思えます。その底流を言葉にすれば、「非寛容で他罰的」ということではないでしょうか。
ある妊婦が出産時の障害で死亡しました。1万例に1つというほどの稀な症例で、医師の処置は通常の基準では問題ないと思われたのに、結果としては死亡を招きました。医師は業務上過失致死罪に問われて逮捕され、公判は継続中ですから、医学的な事実関係は私には判断できません。しかし長く信頼されていた医師は墓前に土下座して謝罪し、廃業に追い込まれました。遺族は「稀な症状だから止むをえなかったというのは、死者に対する人権侵害だ」と述べています。
出産に限らず、私たちは絶えず病気やケガと共存しながら生きています。だからこそ健康に暮らせる喜びがあるとも言えます。医療は進歩し、よい薬も出来ました。しかし新しい手術法が定着するまでの間に失われた命もあるでしょうし、よい筈の薬も、ときには薬害を引き起こすこともあります。だからといって新薬を開発しなければよかったとは言えないでしょう。最近気になるのは、「事が起きてからでは遅い」と、早め早めに安全策に逃げ込む防御的な風潮です。それが非寛容で他罰的な傾向への対策であることは明らかです。
出産に一定率の危険が避けられない以上、安全第一に考えれば、医者は産科医にならず、病院は産科を閉めた方が安心ということになります。さらに暴論を言えば、すべての女性は出産をしない方が安全なのです。なにしろ「事が起きてからでは遅い」のですから。
この問題は、つまるところ、人間の生命をどのように考えるかに帰着します。生命には必ず死があることを忘れず、健康に長く生かしてくれる現代の医療に感謝するか、それとも監視を強めて、あくまでも完全を追求するか、ということです。ミスがあるたびに、責任者は「二度と繰り返しません」と頭を下げます。あれは何か意味があるのでしょうか。私はミスをしない人間を見たことがありません。人間にできるのは、人知を尽くして危険を少なくすることだけです。
今これを書きながら、「文明の尊厳死」という不気味な言葉を思い出していました。人類の生存には、一種の「蛮勇」と「感謝の心」が必要なのではないでしょうか。


原典は、こちらにあります。

志村建世さんのブログ

医療に関する暗い現状の、特に根本的な部分をズバリ言い当てておられます。ダメなものは、ダメなのです。にもかかわらず、現状ではとても不可能なことまでやってみせよと要求され、失敗すれば鞭で脅迫される。そういう社会の現状こそ、医師が何よりも深く絶望するものです。そして、だからこそ、この国で医師がどんどんいなくなっていくのです。そのことが理解されない限り、この流れが止まることはないでしょう。

またこの文章でも言及されていますが、福島で発生した産科医不当逮捕事件における患者側の処罰感情については、やはり自分は賛同しかねます。一つ前の日記でも書きましたが、もう不必要に医師を間引く余裕なんてありません。そのことに対する理解力が、どうも十分ではないように思います。

最近のトピックは「救急における、患者受け入れ不能」です。これを故意に「たらい回し」と呼んでみせ、悪意ある報道で要らざる医療不信を煽るメディアは、確かに重罪人です。しかしメディア以上に、何かあるたび医療側を攻撃してきたのは、ほかならぬ一人一人の患者です。果たして、そうでないと断言できる人が、この国にどれだけいるのでしょうか。最低一度は、自問自答すべき命題であると思いますが・・・その問いに耐えられるだけの魂を、果たしてどれだけの人が持っていることでしょうか?

最後に、聖書から知る人ぞ知る一節を引用して、終わりにしようと思います。

あなた方の中で罪がない者から、この女に石を投げなさい

社会の風潮として、他者の行いに正しい評価が出来ない傾向が、ずいぶん強くなったように思います。他人は平気な顔をして叩くくせに、自分は人に叩かれるのに耐えられない。まあ、人を叩いてみせるのは、その実己の魂の弱さを晒すのと同義ですが。そうでない人物がもっと多くならないと、医療に限らず、どの世界も逼迫していくことになるでしょう。

人が罪を犯すのは、仕方ありません。それが、人の生きている意味だから。しかし罪を贖う営みのない者に、救われる価値がないのもまた事実です。贖罪の儀式は、まだこれからも続きます。それは、絶対に、絶対です。
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